(全3回)僕らはなぜ立科町でリンゴ農家になったのか 上
立科町新規就農者 座談会
長野県の東側、蓼科山のふもとに細長く位置する立科町。美味しいリンゴの生産者となるべく移住した人たちがいます。彼らは何に魅せられ、この地で農業に従事する決意をしたのか。新規就農者4人が座談会で語った本音を3回に分けてお伝えします。
中島 貴宏さん(39)
2017年4月、地域おこし協力隊として立科町に移住。19年に就農。前職は小売業。独身。畑の大きさは約200a 約100本。育成品種はシナノリップ、シナノスイート、シナノゴールド、フジ、紅玉、王林、おぜの紅 前年の出荷量は約20t
松本 譲さん(27)
2019年2月、立科町に移住し、同年4月就農。前職は学生。母親と立科町に在住。畑の大きさは約60a 主な品種はつがる、フジなど
岩波 亨さん(56)
2019年11月、立科町に移住、長野農業大学・里親前での研修をへて21年1月に就農。前職は東京で会社員。家族は妻。畑の大きさは約30a、約50本(自然樹)。品種はフジ、紅玉、王林など。前年の出荷は約10t
芳野 昇さん(56)
2021年5月、地域おこし協力隊として立科町に着任。前職は公務員。妻と大学生の長男は大阪に在住。町内の生産協同組合で研修し、22年から自身が管理する畑を借り受けた。面積は約25a、約200本(矮化)、品種はフジなど
座談会の企画・進行・編集:地域おこし協力隊 芳賀宏
立科町を選んだ理由
━リンゴは立科町の基幹産業といえる農産物です。皆さんは移住して就農されたわけですが、まず、そのきっかけから教えてください
中島:ことしで5年目になりますが、最初は地域おこし協力隊としてこの町に来て、1年半ほどリンゴ農家になるための研修をしました。実は、この仕事に就く前の1年間、八ヶ岳連峰にある赤岳の山小屋に勤めていて、ある日オーナーが買ってきてくれたリンゴがビックリするくらい美味しくて、本当に感動したんです。仙台市の出身なんですけど青森や山形のリンゴを食べて美味しいと思ったことがなくて、調べたらこのあたり(立科町)のリンゴだと分かりまして。山小屋の仕事は1年だけと決めていたので、やはり長野で働きたいと思ったのがきっかけですね
━それまでリンゴや農業とのかかわりは?
中島:リンゴどころか、農業も全く分からない。それで県のホームページなんかで(農家の)売り上げとかチェックしたら、リンゴの生産性が一番高いんです。当時33歳、それなりに地に足をつけてやらないといけないと考えてもいたし、リンゴならなんとかなるかなと思って。そこから協力隊に入って、外倉と五輪久保(いずれもリンゴ生産が盛んな町内の地区)の師匠について、「十八塚りんご園」(※1)で実践を学びました。
松本:僕は中島さんの1年半後です。7つ上の兄がいまして、埼玉県の出身ですが、赤ちゃんのころから女神湖のペンションやリンゴ狩りに来ていました。造園の専門学校に2年通ったけど何か違うと。そんなときに(東京)池袋で農業フェアがありまして、そこで農協の技術委員の方と話をする機会があったんです。すぐに里親のところに入ることも考えたのですが、松代(長野市)の農業大学校に2年通って就農したので、ことしが4年目です。
岩波:松本さんの2、3年後だと思うんですけど、僕もその農業フェアがきっかけでした。立科町を選んだのは偶然、通りかかったからなんですよ。五輪久保の木を見て「すごいなぁ」って。その直後に農業フェアが開かれていて、立科町のブースで「リンゴ農家になりたんです!」とたずねたら、「農大の里親前研修」を受けてくださいと言われました。たまたま農大のブースは見たら相談してる人がいたので、直接、立科町役場に電話しちゃいまして、すぐ町に来たんです。畑に葉摘み(※2)を見に行って、農大に入る手続きをしたのはそのあと。最初から「五輪久保以外でやることは考えられません」って言い続けて、そのあとは中島さんと同じ師匠について学びました。
━芳野さんは現在も協力隊員です。立科町を選んだきっかけは?
芳野:大阪での公務員生活に疲れてしまいまして。農業、中でも果樹をやってみたいなと考えていたんです。地域おこし協力隊なら住むところなどフォローもあるので、就農できるところを前提に探していたところ、立科町の年齢制限(当時55歳まで)がギリギリ該当したので、応募前に一度、見に来ました。実際に見たら環境も素晴らしかったですね。
━協力隊としても先輩である中島さんは、通常3年のところ2年で除隊して就農しています。迷いはありませんでしたか?
中島:協力隊に入って6カ月くらいで運よく畑を借りられました。農協の技術委員の方には「すぐに就農しなさい」と言われたんですが、さすがに…。2年間は協力隊に所属しながら研修しようと考えました。ただ、僕は立科町では最初の協力隊員だったので、「いいのかな?」という気持ちもありましたけど、今となっては2年でよかったと思います。やることも確定していたわけだし、若いうちに早く就農したほうがいいと考えたので。
芳野:そうでしたか。僕は今のところ、協力隊は3年間やってから正式に独り立ちしようかと考えています。現時点でお借りしている畑の面積では就農条件を満たしていないこともあるので。
畑はどうやって手に入れる?
━新規就農を目指す方にとっては、自分が管理する畑をいかにして探すかは重要な問題です。特に果樹、リンゴは木がなければ収入になりません
岩波:農大(小諸市)で里親前研修を1年間やって、翌年は里親のもとでお世話になり、3年目で就農というコースでした。マッチングには気を使ってもらえるようで、僕の場合は「五輪久保でやりたい」という明確な希望があったので、このラインに乗りました。結果として、師匠の畑をお借りすることになりました。
松本:僕は農大を出てすぐに就農だったので、農協の技術委員から「ここ空いてるので借りな」という感じで、すでに準備されていたみたいです。ただ、農家さんが手放す畑は状態がよくないこともあります。一部はお返ししましたが、給付金をもらっているので畑が足りなくなっちゃう。加盟していた(地区リンゴ農家の)部会で相談したら紹介してもらえました。
芳野:研修していた十八塚のすぐ近くに、昨年の収穫前に園主さんが亡くなられた畑があって、知人経由で後継者を探しておられると聞きました。来年まで待てばどこかに畑が空くという保証はないので、やらせてもらうことにしました。ただ、ご高齢なうえご自身が植えた木がかわいいのか、松本さんもいうように「よう切られへん」という感じだったみたい。だから春の剪定が大変で…。剪定というより伐採でしたね。ほんま、どうなるんかな? というくらい切りました。独立するにはまだ面積もちょっと足りないので、畑は増やさないといけないですね。
中島:先ほど言ったように協力隊で町に来て6カ月目には借りられたんですが、僕の場合も地主さんがご病気で「へたをしたら木を切らないといけないかも」という畑でした。1haほどの大きな畑で、当時は分からなかったんですが知り合いは「状態はよくなかった」と言ってました。ただ、今はその知り合いも「すごくよくなった」と評価してくれています。何年かかければ根がよくなって、葉の色、木の形もよくなって立派なリンゴ園になるんだなというのは実感します。
岩波:中島さんは今、どのくらいの畑を管理してるの?
中島:全部で200aですかね。ただ草を刈るだけの部分もあるので、そんなすべてではないです。
岩波:とはいえ、そんなに? 1人でしょ? 俺にはできないなぁ…
━畑仕事は1人での作業が多いと思いますが、どうしていますか?
芳野:僕はラジオ聞いてますね。作業を決めて機械的にやりながらですけど、いろいろ考えても分からなくなっちゃうので。
中島:僕もたいていはラジオを聞いてますね。きょうのノルマだけは決めます。
松本:イヤホンで音楽聞いていることが多いかな。
岩波:ラジオとか農業の関係のポッドキャストなんか聞いてるんだけど、むしろ「木と対話してる」っていうのかな、みなさんもそうじゃない?たとえば摘果(※3)とか剪定でも「どれ切る?」なんて木に聞いてますよ。
━基本は1人の作業とはいえ、摘果や収穫の時期は人手がかかります
松本:忙しいときは母や、県の「農ある暮らし」という事業のつてでお願いすることはあります。
中島:親しくしている元協力隊員に顔が広い方がいるのでご紹介してもらったり、当時から関わっている方にも「どなたかいたら」とお願いをしています。本当に忙しいときは地主さんにも声をかけます。収穫などで多いときは8人くらい来てもらう日はありますけど、年間でも2、3日くらいですね。摘果はコントロールもきくので
芳野:自分はこれからなので、どうしたらいいかは考えないといけないですね。
つづく
※1 十八塚りんご園 生産協同組合。立科町では最も大きなリンゴ農園
※2 葉摘み 立科町のリンゴの主力品種はフジ。なかでも袋掛けをしない「サンフジ」は収穫前に葉を摘みとり日光をあてることで赤く発色し、味も向上する
※3 摘果 未成熟のうちに実を間引きし、栄養を集中させる作業